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代表挨拶

私は、1959年、兵庫県小野市に生まれました。父は、キリスト教会長老で厳格な家庭に育ちました。

25歳で結婚。3人の子供に恵まれ、ごく普通の主婦として暮らしていました。

ところが、1997年会社を経営していた主人が突然他界しました。末っ子の次女が2歳のことです。

主人は、1995年の阪神淡路大震災後、被災地の再建のため、寝る間を惜しんで働いており、過労がたたったのです。

全てがその日から一変しました。こんなに大切な人がいなくなっても社会は今日も普通に動いているのだ、と悲しみの中でとても辛くやるせなかったです。
泣きたかったけれども子供の事を思うといつしか泣く事さえ制限してしまっていました。

私は全くの専業主婦でした。けれど3人の子供を育てなくてはいけません。

主人がいなくなってから「子供たちに対して社会に出て働く事の楽しさや、やりがいを身をもって教える事ができるんだろうか?」と自問しました。
私は主婦業なら自信はありましたが、仕事は楽しくやりがいがある、と子供たちに伝える自信は全くありませんでした。

主人との別れを受け入れられず、でも「悲しくても子供たちの前では泣けない」「気丈なお母さんでいないといけない、」そういった「信念」がどんどんと私の心を暗い深い所へ追いやっていきました。
インターホンがなるだけでも怯えて立ちすくむ程ボロボロで、うつを発症してしまいました。

また、そこへ追い打ちをかけるかのように実父が脳梗塞で倒れ介護が必要になりました。

このままでは、私は子供に何もしてあげられない。せめて私の後ろ姿を見て何かを学んでほしい。…なのに…私はどんどんつぶれていく…焦りや絶望に押しつぶされそうでした。

そんなある日の夜、自宅のベランダで月を見上げながら、私は自分の身の上を呪いました。大声こそ上げませんでしたが、どうしようもない現実にボロボロと涙を流しながら、

「なぜ、私を生かしているんですか!もう、私を生かしておくな!子どもたちを残して、自分で死ぬことができないんです。もう、生かしておかないでください!」

と心のなかで神様に思いっきり悪口を言い続けました。

15分か20分ほど、言い続けたでしょうか。その時、はっきりと声が聞こえたのです。

「だから、お前を生かしているんだ。生かしている責任は、全てこの宇宙にある。一切は全て用意しているだろう」

何が起こったのか、理解できませんでした。
でも、その声ははっきりと私の心に届きました。

そんな時に出会ったのがNLP(神経言語プログラミング)でした。

最初はなんだかカタカナが多くて、意味もよくわからなかったことを覚えています。でも、受講生同士で行うワークの時に、私の眼から涙があふれて止まらなくなりました。

トレーナーの先生が「潜在意識が泣いてるのよ、だから意識ではわからなくてもいい。」と言われ、とても衝撃をうけました。

そしてその涙を流しきった時、意識的には全く説明できない安堵感のようなものが私の心に広がっていました。

これが私の意識、無意識を初めて強く認識できた時でした。そして今までいかに意識的(頭で理解する)にアプローチをして解決策を求めていたのかが理解できました。

経験豊富なセラピストとのセッション(カウンセリング)で、このような反応はよくある事でしょうが、受講生同士で練習していた時だったのです。あまりにもあっさりと起こったことに不思議さえ感じました。けれどもそれは、まぎれもなく私の奥の奥が、変化した一瞬でした。

私にも育った家庭環境で親や廻りの人からインプットされた多くの思い込みやルールがありました。それは、その当時は自分を守る為に有効であったかもしれません。

けれども、数年経ち、子供から大人になって本来ならばもう有効ではない(必要でない)思い込みや基準を、自分ではどう解除していいかわからず、また単にそれらは自分の性格だと諦めていました。

でも、潜在意識にアクセスできるのだと知ってからは、自分の能力や才能に自分でリミット(限界)を作っているだけだと理解できました。

その結果、今では自分が思いもしなかったような仕事もでき、子供たちも仕事が好きな大人に育ってくれました。

母親との仲もあまりいい関係ではなく私が母子家庭になってからも実母の事で辛い事も多かったです。だから、親子間での問題の辛さに悩んでおられる方にも共感できます。

世の中の父親並みに働き、法人も設立し事業を経営してきたのでビジネスの世界で頑張ってる方の日常にも共感できます。

人生の途中で生きる意欲を失い、早く主人のもとに行きたいとばかり願っていたから、生きることに疲れている方の気持ちにも共感できます。

そう思うと辛かった日々が実は私の宝物であったと気づく事ができたのす。自分はただの石ころだと思ってしまっていたけれど、自分の中にもダイヤモンドのような輝きがあることに気づけた事で、目標を作る事が出来ました。今は私に多くの気づきを与えてくれた回りの全ての人に感謝しています。

あの声が聞こえてから、私は執着を捨て、潜在意識に全託して人生を歩むようになりました。それから、なぜか人生がうまく回るようになったのです。

食べるものがない時には、玄関に誰かがお米を置いてくださったり、きちんと宣伝もしていないのに、企業向けの仕事が次々と舞い込んだり。

危険を感じた猛吹雪の高速道路で、ナンバープレートがない大型トレーラーが私の車を誘導してくれたり…。

私は、全ての人が「脳の取り扱い方や原理原則」を知ることで、性格だと諦めている「自らが創り出す制限」を打破、解放して、自分らしく成功できる世界を目指して仕事をしてきました。

メンタリングセッションでは無意識を使い、マインドを整理し、柔軟性が増す事でその人の持つ可能性が広がる独自メソッドを開発。顧問先社員の「個の潜在能力」に特化したメンタル指導により、半年で売上高前年度比150%を達成した実績もあります。

また、数々の親子関係、夫婦関係の改善や諸問題の解決にはトレーニング受講者から感謝の声をいただいています。

そしてありがたいことに、私が創った「ハピネスフォース」メソッドをベースに4000人近くの個人セッションと、約25社の顧問契約を結ばせて頂くまでになりました。

しかし、がむしゃらに走ってきた私も50代後半になり、子どもたちも独立し、孫にも恵まれました。次のステージへ移る時期が来たと思っています。そこで、新しい夢を実現するため、マインドイノベーション協会を設立いたしました。

私の夢は2つです。

聖書には、「人はパンのみで生きるにあらず。」という言葉があります。

そうです。唯物主義だけでは、人は幸せになれないのです。ハピネスフォース(幸せの力)とつながり、わくわくとした自分の使命を生きることが必要なのです。そして、ハピネスフォースとつながれば、結果的に物質的豊かさもめぐってくるのです。

この真理を多くの人に伝えたいということが1つ目の夢です。

これは、ハピネスフォースメソッドを教えるアウェイクナーコースで先生を養成し、さらにその先生が、ハピネスフォースメソッドのベーシックコースを教えることで、より多くの方の人生を幸せに変えていきます。

今、このマインドイノベーション協会を通して、一人でも多くの方が幸せな人生を歩んで頂くことが私の願いです。

キャサリン川上プロフィール

川上 茂子マインドイノベーション協会代表
BHLアカデミー代表
NPO法人「コアネクション」監事

元、FMgigラジオパーソナリティ

保有資格 米国NLP協会認定 チェンジエージェント(日本人初)
米国NLP協会認定 NLPコーチ
米国NLP協会認定 NLPトレーナーアソシエイトクリアリング霊気マスター
介護福祉士
社会福祉主事
実績 企業顧問*中小企業25社以上
アメリカでのメンタリングセッション・コーチング
株式会社シャルレ本社にて講演、その他
一般向けNLP6カ月トレーニング(兵庫県)
一般向けペアレンツトレーニング教育者、親対象(兵庫県)

病院・院内研修
医療従事者向けモチベーショントレーニング(兵庫県)
個人セッション(対面・電話・スカイプ・メール)は延べ約4000人以上

独自の「ハピネスフォースメソッド」のアウェイクナーコース(講師養成)を開催し次世代の講師を育成している

経歴

1959年 兵庫県小野市出身。
父親はキリスト教会長老、反発を感じながら厳格な家庭の中で育つ。
1998年 配偶者と死別、当時3人の子供達は小学生と2歳であった。
死別の辛さで鬱を発症。
2003年 即効力があるというNLP(神経言語プログラミング)を学び始め、自身の変化の速さ深さを実感する。
2005年 有限会社BHLリコールエセンスを設立、代表取締役に就任。
福祉関連の様々な事業を始める。
この頃より同業他社事業所の相談を受けNLP理論を使い解決した事から様々な業種の経営者から相談を受けるようになる。
それと共に、多くの中小企業が社員研修の成果に対して満足度が低い事を知る。
その理由の一つに「費用対効果」があった。外部講師を依頼しての研修は一時的効果になりやすく効果を持続させる為に顧問としての位置づけが必要だと感じ、企業顧問としての活動を始める。
2012年 企業顧問としての活動に専念すべく会社経営を部下に委譲、役員を辞する。
時間的に余裕ができ、個人プログラム、セミナー、カウンセリングやメンタリング、コーチングを本格的に始動する。
2014年 海外からの依頼に応えスカイプでのセッション部門開設
マインドイノベーション協会設立。
2015年 川上独自メソッドであるハピネスフォースメソッド講師資格取得セミナーを開催し、後進の育成を開始。
今後は、特に若者への教育、家族への啓発を中心に行いたい。